気学全般 17
[敬称略]
は質問が二つ以上に跨っているので重複掲載しています。
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 厄を祓う方法 投稿者:りょりょ 2003年2月12日(水)13時59分33秒
  主人は昭和39年7月24日生まれ私は昭和48年10月17日生まれです。息子は平成13年12月3日生まれです。私たち夫婦は来年から前厄に入ります。転勤の多い主人は、実家のある支店にいる今、家を建てたいと、土地を探してきました。その場所が今のアパートから北から北北東に位置します。紹介先は不動産からではなく地区の保留地組合で、場所が北東にあります。最近私たち夫婦の年回りが悪いと知りました。それに関係してか、息子が一月から病気がちです。昨日お祓いを受けてきました。息子は方位よけをしてもらいました。それでもやはり、今年の土地購入、新築はやめるべきでしょうか?厄を祓う方法は他にあるでしょうか?教えて下さい。
大塚考祥 2003年2月14日(金)12時48分08秒
 今年の北東は#歳破方のうえお二人には#本命殺、お子さんは#小月建方ですから、直接移転出来ません。土地の様子は月の方位で調べます(最初に関わりを持った月)
よく調べたうえなら購入は差し支えありませんが、何時入居するかということが大事です。
方位除けがどのようなことか分かりませんが、息子さんは此の件に関して全く関係ありません
参考ページ:歳破 本命殺 小月建方
御回答ありがとうございました。続いて質問させて下さい。土地の方位は測ってみたところ、子(真北から西方向に12〜13度)の位置にぎりぎり入るようです。そこの土地を紹介されたのは今年の一月に入ってからです。回答に「そこの土地をよく調べてからの購入なら問題ない」とありましたが、よく、とは具体的に何を調べればよいのでしょうか?もし転居するなら、いつの年が良いんでしょうか?
 北東ではなかったのですね。1月の物件なら北に一白があるので、その象意による判断になります。土地の状態や付近の環境などを予測するためです。象意のページは当サイトにありますが公開していません。「九星の象意」で検索したうえ参考にしてください。
個人的なこと(入居時期や方位)については、この場でお答えできませんので悪しからずご了承ください。
なお、前回の回答中「小月建方」については、年月同会の10月に移転する場合です。
病気と寿命と九星 投稿者:yuu 2003年2月13日(木)10時48分58秒
九星によってかかりやすい病気とか寿命が書かれていたHPを見ました。
やっぱり、病気や寿命は九星によって違うんでしょうか?
どの星も平等ではないような気がしてます。これも統計ででてるのでしょうか?
大塚考祥 2003年2月14日(金)13時20分49秒
病気はありませんが、天から授かった命(この年まで生きるのが普通という年齢)はあります。6年ぐらい前、私の監修ページに掲載しことがありますが、リニューアルに伴い現在はありません。近いうちに当該ページに載せる予定です。
戦国武将と気学 投稿者:クリスタル 2003年2月14日(金)17時36分51秒
いつもありがとうございます。少し、マニアックな質問になるかも知れませんが、気学に関して次のような疑問があります。
よく、ものの本に気学の有効性を証明するための例示として「戦国武将」の移動歴・転居歴が記載されています。
例えば、徳川家康は八白土星の本命で、幼少の人質の頃の移動が図らずも「吉」であった。天海上人と出会った後は、気学の達人の同師の意見を入れ、関が原の合戦や江戸の街づくりで気学を実践し、大いに栄えた・・・。といった類いのものであります。その他、浅井長政は九紫、石田三成は八白、秀吉は五黄でそれぞれの移動は廻座する星の周りと較べ、どうこうと評価するものであります。
さて、ここで、ひとつの疑問があるのです。
家康の幼少時代の移動云々や気学を知らなかったその他武将の移動・転居については飽くまで結果論としての評価に過ぎない、と思うのです。しかし、家康が用いた気学というは何だったのか?
つまり、今の九星に基づく気学が我が国で完成するのは、大正時代、との通説があり、その点からみれば、家康の時代には、一白、二黒・・・、等の言葉すらなかったのではないか?という疑問が消えません。この点から推論すれば、1.今の気学の雛型のようなものが既に、我が国に伝来ないしは確立されており、当時の言葉の中で、それは流通・流布していた、或いは、2.既に気学は当時確立されており、それは、大正時代まで大衆化されていなかった、更に、3.1,2のどちらでもなく、戦国武将の行動については全て後代の結果論の評価にしかすぎない、−−−等々、色々な仮説を立てることが出来ると思うのです。身近な話題ではなく、恐縮ですが、今の気学の信頼性を更に高めたうえで広く世の中に広めるためには、クリアすべき疑問なのでは?と考えております。先生のご見解を賜れば幸いに存じます。
大塚考祥 2003年2月15日(土)12時17分48秒
マニアックな質問は大いに歓迎しますが、私に答えられる範囲でお願いします。

○徳川三代に仕えたと言われる天海上人は、方位も家相も知っていたのでしょうが、それよりも今流行の陰陽道ではなかったでしょうか。(当サイト#徳川幕府の知恵)
「気学の達人の同師の意見を入れ、関が原の合戦や江戸の街づくりで気学を実践し、大いに栄えた・・・」どなたの話しか知りませんが、気学の成立ちも知らないで、眉唾の話しでその有用性を云々するのは却って信用をなくします。風水気学と同様に、本当に困ったことです。
○気学は大正13年に園田真次郎氏(地角・明治9年〜昭和36年)が創始したものですから、通説ではありません。(当サイト#気学ってなに?)
○九星は九星術として古くからあったものですから、当然九星が存在していなければそのような術は生まれません。
○気学は方位/家相/九星に易の哲理を加味して完成されたものですから、雛形というならこれらでしょう。
○全て後代の結果論の評価が正解でしょう。
参考ページ:徳川幕府の知恵 気学ってなに?
投稿者:樟吉 2003年2月15日(土)15時49分32秒
クリスタルさんの質問の中で大塚考祥先生のおっしゃっている通り、気学と命名しその発展に貢献されたのは地角こと園田真次郎先生ですが、まったくゼロから創り出した訳ではなくその基盤となったものに方鑑というものがあります。これは園田先生と同じ大正館で飯田天涯先生や松浦琴生先生などが有名でして、この方鑑学というものは鎌倉時代からあったと思われます。基盤になったのは陰陽五要奇書郭氏元経や協紀弁方書です。一白、二黒というのここからきていると思われます。占いに関しては鎌倉時代の頃、中国は占いブームでしてその頃から江戸時代にかけて占いの本が物凄い数で日本に輸入されました。江戸の鎖国以降は皆無と言ってよいほど他国の文化は入らなくなり当時の占術師はそれまでの中国の為の占を日本にあった形にすべく実践と研究が重ねられ方鑑が生まれました。雛型に関しては私自身この方鑑だと思います。
投稿感謝いたします。
十干 投稿者:まり 2003年2月15日(土)14時03分12秒
先生、気学は十干をあまり考慮されていませんが、このことは気学はある限られた部分を見ていると言うことになるのでしょうか。
すべて気学で説明をするのは限界があるとも聞いた事があります。
先生のご見解を賜れば幸いに存じます。
大塚考祥 2003年2月15日(土)19時45分46秒
十干は精神を表わすので大切な要素ですが、これを取り上げると多くの説明を要しますから、当サイトでは#生年月日の三要素で述べているだけですが、鑑定に際しては充分すぎるぐらい考慮してます。
参考ページ:生年月日の三要素
九星による差別 投稿者:ロン 2003年2月17日(月)11時12分07秒
以前、どこかで読んだ記憶なのですが、九星によって子供の授かりやすい性別があるとか。
それはその星の持っている象意によるものなのでしょうか?
もしあるとしたら、本命星で見るのか?月命星で見るのか?
どういう見方で分かるのでしょうか?
興味があります。問題なければ教えてください。よろしくお願いします。
大塚考祥 2003年2月17日(月)12時01分38秒
気学は運命論でないので九星(生年月日)による差別は一切ありません。
九星の起源 投稿者:迷子 2003年2月17日(月)16時44分28秒
はじめまして、私は本命星「三碧」月命星「六白」の主婦です。
こちらのHPはとても勉強になります。特に「暦に載っている方位図」の説明は今までの疑問が解けたのでスッキリしました。でも今年の「注意が必要な方位」では南が含まれているのはなぜなのでしょうか? 自分なりに方位盤を作って悪い方位を抹消していくと特に今月は南しか残らないのですが? 今月、新しい行動先(スポーツ施設に週2回)を南に行く予定なので教えていただけないでしょうか? ちなみに先月、佐野厄除け大師で方位除けのお札をいただいてきました。
また、気学に関しては納得させられる事が多いのですが、もう一つだけ気にかかることがあるので教えてください。
九星の定位置は中宮が五黄になっているので、五黄から始まるのかと思いましたが、計算してみると西暦1年は「辛酉・一白水星」から始まっています。
【甲子(きのえ・ね)一白の年から始まる180年間を一元として、・・】とありますが、遡って計算しますと西暦64年が「甲子・一白水星」の年になります。正確な始まりはいつで、なぜなのでしょうか?
信憑性を知りたいので、どうぞよろしくお願い致します。
大塚考祥 2003年2月18日(火)15時28分31秒
2003年の予感を見られたと思います。三碧の記述が間違っていましたので訂正いたします。有り難うございました。2002年を書き換えた際に残ってしまったと思います。
起源については存じませんが、少なくとも西暦は関係ありません。
投稿者:樟吉 2003年2月19日(水)23時27分52秒
こんばんわ。迷子さんのご質問の中で、現在の九星の始まりについての疑問に対し、私の知る限りの事で宜しければお答えさせて頂きます。現在の九星の配列は天保五年(1834)に松浦琴鶴先生が中国に起源をもつ協紀弁方書という文献などを考慮し、また、天体の動き、もろもろの文献を研究し、これを元に作ったものと思われます。また、元治元年には天人地の三才を天干、地支、九星とし、これにより暦を作りました。元治元年(1864)を甲子一白として上元、中元、下元の180年の暦です。
大塚先生、お忙しい中ご回答ありがとうございました。樟吉さん、ご親切にありがとうございました。これからも勉強させてください。
私は気学って凄いと思います。今までも易者さんに「嫁いだ先の方位が悪かったんだ」とはよく言われましたが、方位といってもピンと来なくて、これが私の宿命なんだぐらいにしか受け止めていませんでした。でも先月、佐野厄除け大師の広告を目にしたのがきっかけで興味を持つようになり、今月インターネットで方位学を知りました。そこではじめて自分の結婚した年の方位盤を作ってみたら「本命的殺」の方位に転居していた事がわかりました。その時は「易者さんが言っていたのはこのことなんだな」くらいにしか思いませんでした。が一昨日、本命的殺の現象をはじめて読んで「何なのこれは!!」と「ゾッ」としてしまいました。怖いくらいあまりにもピッタシ当たっています。気学は本物だと確信しました。占いの中でも一番うさん臭く思っていたものの中に真実があったなんて驚きです。もっと早く知っていたなら、しかも転居して同じ星が回ってきた9年も過ぎてから気がつくなんて後悔しても既に遅しです。
これから対処の仕方をこちらのサイトで学んで行きたいと思います。またわからない事がでてきたらよろしくお願い致します。
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