真偽のほどは定かでないが鬼門について次のような話があります。
徳川家康に仕え、上野に寛永寺を開山、秀忠・家光の幕政に参与した天海(慈眼大師)は大名や大商人に、鬼門を敬う?という理由で鬼門筋を控えて建てること(北東と南西の角を切るか凹ます)、併せて北西に蔵(乾蔵)を造ることを薦めたと言われています。鬼門筋を控える設計は現在でも東京方面の一部の設計家や大工さんに残っているようで、「鬼門に遠慮した」という話を耳にしたことがあります。しかし、これは艮欠け・坤欠けの家という立派な凶家相です。なぜかというと北東には相続及び親族という象意(姿や形。意味)があるので、この方位が欠けることは、相続が欠ける、つまり正当な相続人の不在や早世などを意味します。
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従って、妾腹の相続か養子 相続ならまだしも、相続が行われないこともあります。また、親族関係が欠ける、つまり親族兄弟の和合、協力が欠けるので、不和対立となることもあります。
南西の象意は妻又は中年を過ぎた女性で、この方位が欠けることは妻が欠けることを意味します。即ち、妻の権威を低下せしめ、病弱あるいは妻としての働き及び役割の欠如となってあらわれます。嫁して三年子を生さねば去る、というような当時では、嫁しては夫に従い、相続人(男児)を産むことが妻の大きな役割でした。 |
乾蔵については別項に譲りますが、そのあらましは、初代(蔵を建てた人)にとっては文句のない吉相だが、世代が進めばある条件のもとに吉相が吉相でなくなり、反対に凶作用が現れることが多く、別名「三代なし」「三代続かず」ともいわています。
幕府の方針である、大名・大商家の取り潰しや都合の良い養子を送り込むための策として、裏鬼門に家相上の欠陥(凶相)を造らせて妻の果たすべき役割を困難にせしめ、そのうえ相続問題やお家騒動の種を表鬼門の凶相で植え付ける。そして乾蔵で三代目を抹殺するという遠大な謀略?ですが、天海が陰陽道の大家だったというのが真実なら、家相上も十分考えられることですから、一概に出来過ぎた話とはいえません。
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