家相と思想 ”現代日本の家相学” 祥氣舎より発売中
「相」とは形のこと「想」とは考え方、即ち心の形です。人間には必ず心があるので「想」の字を、家は物体ゆえに心がないので「相」の字を使いますが、この二つは字こそ違いますが内容は同じです。
人間は何かをしようとするとき、意識しなくてもその善悪を考えたうえで動きます。普通に考えれば悪いことでも、その人にとって悪でなければ平気で行動に移るでしょう。中には悪を承知で行動する人もいますが、いずれにしても脳が命令しなければ行動できません。脳は善悪だけではなく、すべての行動をその人独自の考え方を基準にして、どうすれば良いか判断して命令します。
刑務所へ入るのも善行によって表彰されるのも、すべてはその人の考え方によって行動した結果です。その人独自の考え方の中には意識して作ったものがあるかも知れませんが、大半は周囲の環境などによって自然に形成されたものです。ここでの環境とは生後3年以上養育された住居の家相、あるいは現住居の「家相」のことで、前者は生家の持つ相が先天的な特有の想となり、死ぬまで変わることはありません。
例えば、生後3年以上養育された家が「勉強好き」の相をもっていたら死ぬまで勉強が好きで、その後、「勉強嫌い」の相を持つ家に移転したとしても、勉強嫌いに変わることはありません。しかし、そうでない場合は「勉強嫌い」の相を持つ家に移転すると、徐々に勉強が嫌いになっていきます。
人によって生まれ育った家が違いますから、当然その家相によってつくられた想も異なります。例え誕生日が同じでも、人によって性格や考え方が違うのはこの理由によるものです。
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