私の相性論 Vol.1
相性といえば猫も杓子も良いか悪いかだけを考える。平素は迷信だなどと相手にしない人でも、現実に思い当たるようなことがあった時など、ふと思う人は少なくないだろう。私自身もこの道に入った当初は「猫も杓子も」の口だったが、実体験を積むに従いある時期から一貫して「相性が悪いというのは、仲が悪いということ(結果)で、仲が悪いのは相性が悪いから(原因)ではない」と言い続けてきた。
また、ある場合には「占い師に最悪と言われようが、本に大凶と書いてあろうが心配することではない。どうしても気にするのなら、それを参考にしてお互いに気配りを忘れないようにすれば、それなりに役立つだろう」というようなことも言ってきた。
勿論、相性などは当てにならない理由を話すわけだが、その時は納得しても次回来たときは忘れている人もいる。私の考えをもっと広く知られるにはどうすれば良いかと常々考えていたところ、今回の震災で家相・方位中心の私の仕事にかなりの空きができ、この際に文章に纏めることにした。
なお、本編は適当に興味をお持ちの人、過去にこの種の本をお読みになった人など、多少の知識を有する方々に限ったため、その人なりの疑問が随所に出てくることは確実である。ために、それに対する説明を付け加えようと思ったが、頭の中にあることを文章にしようとすると後先が繋がらい。文才のない悲しさ、結局疑問には口頭で説明したほうが分かりやすいと勝手に決めさせて頂いた。なお、後段は気学と運面論の相違点を書いたため、余談と思われる向きもあるだろうが、そのこと自体が本論の結論の源泉になっていることをご理解賜りたい。
【結論】
「相性とは吉凶ではなく、潤いある対人関係を作るための方法を教えるものである」。
これを違う言葉に置き換えれば、相性の極意は中国の兵法書の孫子にある「彼を知り、己を知れば、百戦殆うからず」。即ち、彼を知るとは(生年月日から)相手の大まかな考え方を推量することであり、己を知るのは自分の短所を弁えて、自信が努力することであり、これに沿って男女を含むすべての対人関係を考えていけば衝突することはなく、摩擦を起こしたとしても軽微で済むはずである。「百戦」を「対人関係」に置き換えれば、様々な対人関係の悩みは減少し、あるいは解決も容易なことでないだろうか。
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